2023.08.10

努力・根性・気合

 灼熱のような毎日を過ごしている今日この頃、暑いから熱いに体感温度は受け止める。振り返ると青春時代のクラブ活動で今のような気温だったのだろうか?恐らく5度近くは測定温度では上昇している感がある。当時の学生生活では課外授業やクラブ活動では「心頭滅却すれば火もまた涼し」と気温の高い真夏日に水も飲まずに体育活動に専念していたのを思い出す。その時の掛け声は「根性・気合だ」で乗り切れ!っであった。「努力」は決して裏切らないから継続して訓練しろ。等と精神論がこの三文字に凝縮されていた時代でもあった。処が、今は如何だろうか?若者にこの様な語句を並べて行動規範を示すものなら、何をあなたは言っているの?とアザけ笑われる。古すぎるとか時代錯誤だとかまるで小ばかにする表現であしらわれる。「努力・根性・気合だ」そんなの関係ね~。そんなもの必要?と帰ってくる言葉に反論できずにいる。日本人は目標も持たず毎日を安穏と暮らしていけるほど豊かになったのだろうか?食べること・住むこと・着るものの全てが充足し、文化的な生活が出来ているからこそ、そんなの関係ね~等といえるのだろうか?労働基準法・労働契約法が整備され、働く従業員の労働環境は数十年前から比べると、解雇権の濫用法理に基づき守られている時代となった。しかし一方で労務の提供をすることで賃金を得るという基本原則に対し、提供される労務の質が低いにもかかわらず、残業はしない提供労務の質を向上させる努力もしない。行うのは権利の主張となると、これは正に労働権の濫用としか思えないそんな光景をよく目の当たりにする。

 最近「(GRIT)アンジェラ・ダックワース著」という著書を読んだ。近年アメリカの教育界で重要視されている「グリット(やり抜く力)」を書上げたマッカーサー賞「別名(天才賞)」受賞作品である。アメリカでは成功者となるのは天武の才・能力者の出来る事などと圧倒されると才能がすごいと思ってしまい、人を神格化してしまう。この事は自分が「ラク」だからだという。しかし一流の人は当たり前のことをひたすら努力し根性と気合で自分の目標に向かって絶え間のない行動をし続ける。この事が今更にアメリカでは見直されているという。そもそも日本にあった「努力・根性・気合」である。忘れてしまったバイタリティー精神・弱肉強食のハングリー精神を今一度蘇らせなければならないのではないか。労使関係は使用者と労働者が共に手を結び目的に向かって進む会社という名の船である。労働者は「質・量」両面の労務提供をすることで賃金を獲得する。提供時間に労働基準法の制限があるならば、質の提供で賃金アップするしかない。その為の努力や根性・気合が無ければ使用者はどう判断すべきかは想像できる。一流人材を目の当たりにするとき人を神格化し、裏側にある絶え間のない努力を見て見ぬふりをしてしまうことは無いだろうか。

有限会社レイバー経営者コラム「努力・根性・気合」