データサイエンスとは、「データを収集、分析し価値を創造していくこと。」「データを使って合理的に意思決定すること」などと定義付けている。本年1月の日経新聞に早稲田・中央大・一橋大・大阪工業大・武蔵野大等の大学が学部や学科をデータサイエンス学部などの名称で競って創設している。このことが何を意味しているのかは概ね想像できよう。私たちの住む現代は想像を絶するデータの数が存在する。一昔前にPCが開発されデータを集積することが可能となり、演算などPCが行い帳票を紙で打ち出し眺め分析した時代があった。データには他愛もないモノも存在するが、その一つ一つが集まると大量のデータとなる。この大量のデータを瞬時に一定の法則(科学的理論)に基づき分析することが現在のアプリケーションで可能となった。AIの存在がそこにある。データを収集し価値を創造する担い手がデータサイエンティストである。これからデジタル社会では必ず必要となる。あらゆる産業がデータをもとに意思決定していくデータ駆動型の経営を行っていくと考えられるからである。だからこそこぞって大学は時代の要請に応じようとしているのである。そんなのもう遅いと感じられる方々も多いと思う。私は今から3年半前教育政策においては小中学生に全員にタブレットを配給して、デジタル学級の実施や、情報化社会で行く抜くためにデータを分析する力や深く考える力そして新しい発想を生み出す力が重要になると指摘し実施すべきだと申してきた。民間企業は先手を行くが公共は全てにおいて遅い。公共(国・地方自治体)がなぜ遅いのか?それは計画行政を行っているからである。計画に基づき予算を立てて的確に実施するからである。メリットもあるそれは、行政が行うから安心と安全が確保されているという信頼感である。がしかし現在は少し違うかもしれない。政府主導のDXは世界各国から比べると非常に遅い。民間レベルでは日本は遅れていること間違いない。GAFAガーファと呼ばれる4大IT企業は多くのデータサイエンティストを雇用し様々な角度から分析解析し事業活動に利用している。私たちは今、スマホを覗かない日があるだろうか?そこに掲載されている情報が正しいのか判断できているだろうか?瞬時に書き換えられる情報も多々ある中で、自分が見たいなと思う情報が画面に映し出されているという経験をしたことはないだろうか?もし経験があると感じたとするならその個人情報は山のように堆積しその情報からAIが瞬時に分析しスマホをタップしている間に映し出してくるのである。個人データからその人の思考を科学的に分析した現在の結果として映し出されているにすぎない。このデータ山はどんどん積みあがっていく。とすると、ある場面での決断をスマホを見て行う人も出てくるのではないだろうか?決してそのような人を輩出してはならないと考えますが如何に。
|2021.06.10