10月31日投票の衆議院議員選挙は自民党政権の安定票数の確保で終わった。野党の攻防虚しく維新のみ躍進の結果となったが、自民党に対する反旗の表れであったのだろうか。投票率は戦後3番目に低い結果となっている。疑問に思うことがあるが、有権者数の50%程度の投票者数で元来の民主主義自体が成立していると言えるのだろうか?勿論選挙権が与えられているのだから投票に行かない人がその権利を放棄し、「行かないやつが悪いのだ」と論じてしまうが、本当に行かないやつが悪いのだろうか?国民は政治によって今の暮らしのシステムが出来ていることをよく理解する必要がある。そのシステムには選挙制度も含まれ自治体の組織や役割も取り決められていることを理解しておく必要がある。新型コロナウイルスの5度による感染拡大の波の合間の選挙ではあったが、従前の選挙方法と何も変わらないし制度も変わらなかった。一方で、コロナ禍で国民の生活は大きく変わった。人と人の接触が極めて減少し地域のコミュニケーションは希薄となり会合も持たれなくなった。高齢者は憩いの場として病院通いをしていたが出足は鈍り患者の数は減少した。地域の隣組ですら誰が亡くなっていたのか分からなくなった。地域情報の欠如で地域の助け合いの機会を奪っている。大物政治家の落選が相次いだが後援会などの高齢化などが大きな要因だろう。東京一極集中の是正として地方創生を掲げた8年前、地方自治財政と運営の脆弱の解消のために行った平成の大合併を掲げた15年前と何も改善されることなく地方は衰退している。与党と野党の選挙の看板はコロナ対策の給付金の額の違いぐらいしか国民は理解していないだろう。つまりどこも同じで分からないし何も変わらないのだから投票にも行かない。国民の大半の考えはこのようなものだろう。
新資本主義の成長と分配を掲げた岸田政権は具体的な政策や施策を出さないので全く理解できない。アダムスミスの「神の見えざる手」の資本主義から始まり、ケインズの有効需要の創出により一定の市場のコントロールを政府が行う政策があった。新自由主義のフリードマンらの市場原理主義によりシャンパンタワーから零れ落ちた冨は富裕層から貧困層にトリクルダウンによって、お金が行き渡るとした時代があった。トランプ前大統領は象徴との言うべき政策を実施したのだろう。さてこの度の「新資本主義とは・・・・・・?」政府が国債を発行して国民に現金を配ることがそのことなのだろうか?国債をいくら発行しても日本の財政は破綻しないという人がいるが本当なのか?それなら自治体も破綻しない事になる。夕張市の財政が破綻し市民は町から去っていったというニュースが以前報道された。これは一体どういうことか?お金は日本国内だけで回っているものではない。借金をすれば返さなければならない。利益が出れば税金を納めなければならない。しかし税金は政府の財源ではないという人がいる。最近は理解できないことを平然とYouTubeなどで流している。受信者は真実なのかフェイクなのか判断する知識武装が求められる。
今後の「新資本主義」の本質の報道を期待したいと考える。