円安は止まらない。151円を付けた10月には政府・日銀による覆面介入額は9兆円強が費やされたと報道された。そして焼け石に水と兪やされ国会では日銀総裁に辞任の意思はあるかと問いただす場面も散見される前代未聞の様相だ。テレビをつければ統一教会一色の国会論議に終始し物価高騰による国民の生活苦に対する政策議論がまるでなされない。また一方で日銀による金融政策の検証議論もなされない。当初より消費者物価指数2%UPを目指した政策であったはずなのに、すでに規定値を超えたにもかかわらず一過性のものだからとインフレ抑制の金利対策を実施せず量的緩和を維持している背景には、どのような要因があるのか全く公開しない。日本人の口にする殆どのものが輸入に頼っている。薬の材料然り。毎日の食事。電気・水道・ガス・住宅用品どれをとっても輸入資材が絡んでいない純然たるJapanproductは無い。貿易立国日本のモノづくり技術は神話と化したのか。観光立国日本の御旗の下でインバウンド誘致と金融緩和政策を中心とした経済政策は金融資産を持つ者にとっては有効だったのかもしれないが、一般国民はそうではなかったと考えられる。一方では一般国民を含めた金融のばらまき政策がある。苦しい生活できないと困窮し懇願すれば少額の一過性の現金がばら撒かれる政策である。これはめっぽう選挙には強力に影響を及ぼす。選挙目当てと相まってこのような政策が繰り返されてきた。結果どうなったのか。政治は日本の将来像を示さず根本的な政策を議論もせず目先の問題と課題にのみ対処するその場しのぎの政治となり果てたのか。日本国民は「まじめで誠実で勤勉で勤労意欲や利他的精神を備えている」一方で「争いを好まずモノ静かで穏やかで自己主張せず自己肯定も弱い」世界に例を見ない日本人固有の特性は世界から恐れられていると同時に学びたいと考えている多くの人々の存在に気付かなければならない。歴史は繰り返すと云うが、静かな日本人でも、政策が生活を支える経済・学問・文化等が乖離したとき一般国民の生活の安定が脅かされれば、堪忍袋もはじけてしまうだろう。
着るモノ・食べるモノ・住むモノ全てが高騰し社会保障費の負担が重くのしかかり生活インフラの公共料金も引上げられ生産年齢人口は減少し高齢者は激増し東京一極集中人口構造は益々進行し世界で類を見ないデータばかりであろう。
国民の生きる道は国に頼ることなく自身の理念(心の柱)を確りもって惑わされず判断と決断をできる心身を身に着けることであろう。