私達が住む日本での生活環境や経済環境はどう変わっていくのであろうか?ハッキリしていることは人口激減時代に突入しているという事です。更には人口構造そのものが超高齢化社会となってしまったという事です。団塊の世代が後期高齢75歳に達し労働力人口は激減の一途をたどっている。持続可能社会の実現には人口構造のバランスが重要な要因となってくる。若者ばかりが生活する空間では経済や環境インフラなど活性化し急速な変化をもたらす可能性が見いだせる。一方で高齢者ばかりの空間だと閑散とした静まり返った時間の流れが極めて緩やかに流れるのであろうと勘繰る。 経済的精神的欲求を追求してきた民主的資本主義の世界は今、道標を探し蛇行しているように思う。一方で専制主義の共産社会では侵略と拡大により国を統治する手法をいまだに続けている。一方が成長社会なら民主的資本主義社会は成熟社会となったのであろうか。成熟社会では経済成長が安定し成長度合いは低迷し量から質へ求める志向も変化したはずである。生活は安定し金銭的欲求より精神的欲求の幸福感を求める人々で豊かな生活の実現があるはずである。
しかし、現実に目を向ければ食べるモノ・着るモノ・住むモノに関するすべての物が高騰しインフレによる生活苦が襲ってきている。金融金利は低率を推移しているが、いつ何時引き上がるか分からない。人々は資本主義の競争に対する意識が薄れ、向上意欲も低迷しているにも拘らず、この世は「成熟した多様性を重んじた世界に変遷した」とのマスメディアの一部の空間世界の出来事が、あたかも日本全体がそうであるかのように錯覚させてしまう。
日本人は世界標準の多様性・感性を無理して身に付けようと又は身に付けさせるよう洗脳している様にしか思えない。生活は苦しいのに無理に背伸びをして高級車を買う。無理して住宅を建てる。すべては借金である。結末は想像ができる。決して成熟した豊かさや幸福とは言えない。日本人として世界の人々と肩を並べ多様性と感性を使いこなし、自分らしく生きていける人に変化(へんげ)しなければならない。変化(へんげ)とは変って化(ば)けなければならない。
外国人から見ると、日本人の方がはるかに多様性と感性を持っているとの指摘もある。
成熟社会の概念にとらわれ道標を見失いつつある日本人の心底にあるパーソナリティを呼起し日本は日本人が守り、成長維持発展させて持続可能日本社会の再建に挑む年となる事でしょう。